10年前に書いたmixi日記を読み返して、全身をイーってさせる遊び
mixiで振り返る、若気のいたり
すっかり使わなくなったmixiだけど、10年前くらいは盛んに日記を書いていた。ふと、当時の私はどんなことを書いていたのだろうと思って、忘れていたログインパスワードを必死に思い出し、久しぶりに覗いてみた。
ひ、ひどい。恥ずかしすぎる。自分しか読まない日記帳ならまだしも、よくもまあ人様が読むにもかかわらず書けたなぁ、なんて内容のオンパレード。
しかも、読んでくれているのは、ほとんどがリアルな友達だ。本当に恥ずかしい。
その中でも特に全身がイーってなったのが、以下のような内容の日記だった。
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嫌なことがあったり、ネガティブだったり、鬱になっているわけではない。
だけど、たまにすごく「くだらない!」ってこの世界に対して思うことがある。(「この世界に対して」なんていうと大げさだし、ちょっとかっこつけた言い方みたいで逆にかっこ悪いのは知ってる)だけど、周りの全ての人、モノ、出来事がくだらなく感じる。
そんなとき、そのくだらない世界に対する嫌悪感を歌詞に乗せ、ギターをかき鳴らし、ロックで叫ぶ。ということはもちろんない。たいていはイライラするだけで、ふてくされて寝る。そして、周りのすべてよりも自分が一番くだらないということに気づく。
だけど、ふと思う。はたして自分は世界を知っているのだろうか。ぜんぜん知らない。そのうえ、勝手に自己嫌悪に変えて引きこもってしまう。くだらないのは世界じゃなくて、やっぱり自分だ。最近、ようやくそのことが分かってきた。
「閉じこもっていないで世界への扉を開こう!」みたいなことを言葉にするのは簡単だ。でも具体的に何をすればいいかなんてわからない。中南米あたりに旅に出る、そんな意味ではないと思う。友人が言うとりあえず就職しろ、(それはけっこう合っているかもしれないけど)そういう意味でもない。何をするかはわからない。だけど世界へ出よう、そう思うだけですこしはくだらない自分がマシになる。
世界は、つまりは自分の周りは楽しいことがたくさんある。生きることは楽しい。たまに偉そうな人が「人生は楽しいことよりも辛いことのほうが圧倒的に多い、それが人生だ」などというけれど、そうは思わない。楽しいことのほうが多い。
だったらもっともっと外へ出てみようと思う。今、見ているのは世界のほんの一部。本当の世界はどうなのかわからない。素晴らしき世界。くだらない世界。どっちかはわからないけど、見てみる価値はある。
もしも本当にくだらない世界だったら…そのときは爽快な気分で笑ってやろう。「くだらねぇぞ、世界!」とギターなんて弾けなくても叫んでやろう。
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なんなんだ、これは!もしかしたら、当時の私はなにかしらの病気だったのではないかというほどの肌寒さを感じる。今週のお題「私がブログを始めたきっかけ」を見て思い出したが、当時の私は得体のしれない未来に対する不安を日記ブログに書くことで、どこかに追いやろうとしていたんだと思う。
ちなみにこの日記のタイトルは「この素晴らしき世界」。。。顔から火が出るほど恥ずかしい。
ただ、こうして全身がイーってなる感覚、最近なかったなあ、とも。それが心地よかったりもする。「遊び」として楽しみながら、過去のmixi日記を振り返ってみる行為、けっこうオススメかもしれない!