漫才における、それコントじゃね?問題について
漫才なのか、それともコントなのか?
M-1グランプリ2015面白かったですね。いろんな方が今大会の雑感を書いているようなので、私はあえて別の話題で。
それは漫才における、それコントじゃね問題について。
ツッコミ:どーも、なんちゃらなんちゃらズです。
ボケ:名前だけでも覚えて帰ってください。
ツッコミ:ところでさ、オレ、カフェ店員に憧れてるんだよね
ボケ:へー。それより昨日、うちの犬がさぁ…
ツッコミ:ちょっとちょっと、やらせてくれよー、カフェ店員。
ボケ:しかたねーな。じゃあオレが客やればいいわけ?
ツッコミ:お願いします。
ボケ:ウィーン
ツッコミ:いらっしゃいませ〜
…みたいなのって、漫才のスタンダードになっていると思うのだけど、私はずっーと違和感というか。
私としてはボケの○○さんと、ツッコミの○○さんの掛け合いを期待しているのに、急に本人とは違う「誰か」を2人は演じはじめる。
すると最初の何秒かだけですが「あれー?」という感覚に包まれてしまうのです。
漫才じゃなくて、それコントじゃね?と。
じゃあ、漫才なんだから「オレ、一度でいいから美容師やってみたいんだよねー」的な展開にはしないでほしいかというと、必ずしもそうでありません。
たとえばサンドウィッチマンの場合
彼らは同じ内容でコントも漫才も使い分けています。でも、私は漫才バージョンのほうが好き。
人によって好みは違うというか、「別に一緒じゃん」という意見もありそうですが、私には漫才バージョンのほうが、テンポや間合い(無駄を削ぎ落としているから?)、ふたりの距離感、たまに入るアドリブ的な笑いもあって、優れているのではないかと感じています。
また、漫才の場合、ほぼ必ず
伊達「世の中、興奮することはいっぱいありますが、一番興奮するのは○○だね」
富沢「間違いないね」
という入り方をしていて、ベタではありますが、やっぱり笑ってしまいます。
結局、「漫才における、それコントじゃね」問題とは何なのか?
だから、結局はコント的に見せることが悪いことではなく、すごーくシンプルに「面白いかどうか」なんじゃないかと。
センターマイクに立つふたりが面白い話をすれば漫才。それでいいじゃないか!
…と、ここまで書いたところでウィキペディアで「漫才」を調べてみると、こんな記載があることに気付きました。
主な漫才の種類
- しゃべくり漫才
- コントのようなストーリー展開にならないオーソドックスな漫才。正統派漫才とも言われる。コントに入ってもコンビの片方のみが役に入りきる場合や、同じシチュエーションを繰り返すことが多い。当てはまるのは中川家、ますだおかだ、タカアンドトシ、品川庄司、スピードワゴンなど。
- 近年ではしゃべくり漫才に自らのスタイルを取り入れたものもいる。その例はスローテンポ漫才のおぎやはぎ、ケンカ漫才のブラックマヨネーズ、妄想漫才のチュートリアル、Wボケ漫才の笑い飯、ズレ漫才のオードリー、Wツッコミのマシンガンズ、ノリボケ漫才のハライチなど。
- コント漫才
- 漫才の技術をベースにしつつもボケ、ツッコミ共に役になりきりストーリー展開になるコントのような漫才。漫才のネタをコントとして使用する場合もある。当てはまるのはアンタッチャブル、フットボールアワー、トータルテンボス、サンドウィッチマン、麒麟など。
なんだよ「コント漫才」って! しゃべくり漫才がオーソドックスなものとしてあるのは知っていても、「コント漫才」という言葉が存在するなんて知らなかった。
たぶん私が本当に漫才に求めているものは、しゃべくり漫才でもコント漫才でもなく、限りなく「フリートーク」に近い、何かだったんだろう。
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