組み体操は「思い出に残らない」から不要だし「切腹」と同じく歴史上のものになればいい
組み体操のこと、本当に覚えていますか?
大阪の小学校での組み体操事件に注目が集まっている。これまでも何度も議論されてきたが、改めて考えてみたい。本当に「組み体操」は必要なのだろうか?
私は「組み体操廃止」派だ。
もちろん、「団体で何かを成し遂げる素晴らしさ」とか、「運動会の花形なんだから」みたいな意見もあるかもしれない。
ちなみに数十年前、私の通っていた小学校では、男子も女子も組み体操をやらされた。私は運動神経がよかったほうなので、やっている時は楽しかった気がする…た、たぶん。
…たぶん、というのは、よーするにあんまり覚えていないのだ。組み体操のこと。
たしかに組み体操をやったという記憶はあるのだけど、それに向けてクラスメイトみんなで一生懸命に練習したという記憶とか、無事にピラミッドが完成して拍手喝采で感動した、みたいなことをまったく覚えていない。
ちなみに私はちょこちょこ小学校のときの友達と今でも会うのだけど、運動会の思い出の話になることもある。でも、覚えているのはリレーで誰々が最後に抜かしたとか、応援合戦で誰が団長としてパフォーマンスしたのが面白かったとかで、組み体操のことは一切話にでない。
もしかすると、私の小学校だけなのか。ちょっと周りの知り合いに聞いてみたところ、
7人中
4人 「組み体操はしたけど、あまり覚えていない」
2人 「組み体操をしていない」
1人 「とてもよく覚えている」
(名瀬なのか調べ)
とのことだった。ちなみに「よく覚えている」という1人に、なんで覚えているかと聴いたら、「背が低いから、いちばん上に乗せられて、めっちゃ怖かった」とのこと。
まー、7人にしか聞いていないので私の知り合いだけに限るのかもしれないが、私の推測としては、多くの人が「組み体操」について「あまり思い出に残っていない競技」なのではないかと思う。
思い出に残らないものは、教育ではないのでは?
すごく嫌だった合唱コンクールとか、村人その3になった学芸会、文明堂のカステラの工場見学に行ってカステラがひとかけら食べられたのがめちゃめちゃ嬉しかった社会科見学などはすごーく覚えている。
小学校なんて、思い出づくりのためにあると、私は思っている。思い出というのは勉強も含まれているし、いかに思い出を残せるかが、教育なのではないだろうか。
それなのに、大きなリスクをおかしてまで、結局は「思い出には残らない」イベントは、やっぱり必要がない気がする。もしも、みんながしっかり覚えていて、「あの時はつらかったけど、今となっては思い出だよなー」と言えるなら話は別かもしれない。でも、少なくとも私のまわりの人たちはほとんど覚えていない。だから、やっぱり組み体操はいらない。
いやいや、組み体操は素晴らしいという意見も当然あるだろう。でも、切腹と同じで「昔は日本人の美徳として行われたものなんだよー」くらいの扱いで、いいのではないだろうか。