拝啓 安西先生、人生はやっぱり「あきらめたらそこで試合終了」ですか?
拝啓 安西先生
青春の一冊。
学生時代、いろんな小説も読んだのですが、意外と人生で何度も読み返している「書物」って、私の場合スラムダンクのような気がします。
そして、これはたぶん、たくさんの人たちが何度も重ねている議論でしょうけど、あなたの名言「あきらめたらそこで試合終了だよ」について、まだ私には答えがわからないのです。
何度も何度も読み返しているのですが、やっぱり私にはわかりません。
だって世の中、あきらめることの連続じゃないですか。
あきらめたら試合終了かもしれないけど、人生は終了しません。
安西先生はあくまでバスケットの試合のことだけをおっしゃっていたのですか?
私にはそうは思いません。
きっとあなたは、私たちの人生という長い長い試合について、「最後まで希望を捨てちゃいかん」と、「あきらめたら試合終了だよ」と教えてくれたのだと思うのです。
でも、やっぱり人生はあきらめることの連続です。
夢を追いかけて入った会社。
でも、現実は違っていて、やりたいこととは違うことばかり。おまけに上司は朝から晩まで働けと言う。もう辛くて体が動かない。ベッドから出たくない。
それでも、やっぱり「あきらめたら試合終了」ですか?
例えばミュージシャンになりたいと30歳になっても定職につかずにいろんな人を悲しませていたバンドマン。
「俺もそろそろ働かなきゃ。彼女のお腹の子のためにも」
と決意しようとした瞬間、安西先生、あなたの声が聞こえてくるのです。
「あきらめたらそこで試合終了だよ」
私には、何が正しいのか、いまだにわからないのです。
堂本監督がおっしゃっていた、「負けたことがある、ということがいつか大きな財産になる」というのは、すごくよくわかるんです。
私たちの人生は負けっぱなしだから。
だけど、大人にになっても、どうしても安西先生の言葉だけがわからないのです。
あきらめたって人生という試合は終了しないのでは?
そんな甘い考えだから、私たちは勝てない、成功できないのでしょうか。
それとも、もっと別の意味が込められているのでしょうか。2016年の今、私たちは何かをあきらめなきゃいけない、すごく辛い世の中を生きています。
安西先生、そろそろ教えてください!